
「Assez vu. La vision s’est rencontrée à tous les airs.」(Arthur Rimbaud 「Départ」)
ローマ帝国時代に本国以外の領土を指す属州を意味する「プロウィンキア(Provincia)」が語源となり、帝国終焉以降は「フランク王国(Royaumes francs)」の勢力下から「プロヴァンス伯領(Comté de Provence)」を経て、1482年に「フランス王国(Royaume de France)」の州(Province)の一つとして併合、「フランス革命(Révolution française)」(1789-1799)の際に州が廃止された以後も南フランスの南東に広がる地方の名称として呼ばれる『プロヴァンス(Provence)』。

地中海(Mer Méditerranée)に面した「マルセイユ」は、現在の「フランス共和国(République française)」(フランス:France)の第二の都市(人口約86万人)で、紀元前600年頃に古代ギリシアの「ポカイア人」(フォカイア人)によって築かれた『プロヴァンス』を代表する港湾都市です。
空は青く、多くのヨットやクルーザーが係留され、カフェやレストランに囲まれた「Vieux-Port de Marseille」(Vieux-Port:旧港)は、よく知られた「マルセイユ」の姿を見せてくれます。
「Vieux-Port」からも眺められ、海抜149mの丘の上にそびえる「ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド聖堂(Basilique Notre-Dame de la Garde)」(1864年完成)には、「ラ・ボンヌ・メール(La Bonne Mère)」(優しい聖母さま)と親しまれる高さ11.2mの金色に輝く「ノートルダム(Notre-Dame)」(聖母マリア)が佇んでおり、聖堂から一望できる『プロヴァンス』の遙かな大地と紺碧の海に囲まれた「マルセイユ」の町と人々を優しく見守っています。

「Vieux-Port」からフェリーに乗りおよそ30分で到着する「フリウル島(Îles du Frioul)」は、白い石灰質の岩肌を覗かせ、ところどころに実を付けた「ウチワサボテン(Figuier de Barbarie)」や「リュウゼツラン(Agave americana)」が群生しており、「マルセイユ」の町を海から見通せる見晴らしの良い島の頂上には、第2次世界大戦時にドイツ軍が築いた要塞の廃墟が広がっています。
そして、1527年から1529年にかけて「イフ島(Île d’If)」に築かれた要塞で、1540年から1914年までは牢獄として使われた「シャトー・ディフ(Château d’If)」が、ぽつんと寂しく海に浮かぶ姿が目に入ります。

「マルセイユ」の料理で最も有名なのは、世界三大スープの一つといわれる魚介スープ「ブイヤベース(Bouillabaisse à Marseille)」で、伝統的な「ブイヤベース」の質とサービスを守る取り決め「ブイヤベース憲章(Charte de la Bouillabaisse)」を元にして提供されます。
他には、さまざまな料理に添えられるニンニクマヨネーズソース「アイオリ(Aïoli)」が代表的です。
また、歴史的に世界と交易で繋がったことで「クスクス(Couscous)」やアルメニアの料理などを楽しめる店が並び、なによりも港町なので魚が美味しく「Vieux-Port」の朝市(Marché aux poissons)では獲れたての魚介類が並んでいます。
2013年に「欧州文化首都(Capitale européenne de la culture)」として「マルセイユ-プロヴァンス(MARSEILLE-PROVENCE)」が選ばれたこともあり、観光地として発展を続ける「マルセイユ」は、朝から仕事に向かう多くの人が行き交い、「地下鉄(Métro)」や「路面電車(Tramway)」、「バス(Bus)」や「タクシー(Taxi)」などの交通機関が町中を走り「マルセイユ」の何処へでも連れて行ってくれます。
特に多くの観光客が集まる「Vieux-Port」では、路上パフォーマンスや高さ55mの大観覧車、展覧会や島巡りへの長い行列ができたりと賑やかで活気があります。
少し疲れたならば、青空の下で海と「ロマーノ・ビザンティン建築(Architecture romano-byzantine)」の丘の上の聖堂を眺めながら、一杯のcaféや水で割ると白濁する酒「パスティス(Pastis)」を、のんびりとテラスで楽しむこともできます。
§

「Assez eu. Rumeurs des villes, le soir, et au soleil, et toujours.」
『プロヴァンス(Provence)』には、かつての「プロヴァンス伯領(Comté de Provence)」の首都だった「エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)」があり、由来の水(アクアエ:Aquæ)を意味するように大小100を越える噴水があちこちに存在しとてもお洒落な町です。
画家「ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)」(1839-1906)が生まれ育った町でもあり、近郊の丘には晩年の4年間を過ごしたアトリエが当時の状態で保存・公開されています。
また、「プロヴァンスの三姉妹(Trois sœurs provençales)」とも呼ばれる、1150年頃から1230年頃にそれぞれ建設された3つの「シトー会修道院(Abbaye cistercienne)」が『プロヴァンス』の各地にあります。
その内の一つ「シルヴァカンヌ修道院(Abbaye de Silvacane)」では、修道院内の窓から差し込む日の光が白い石肌を照らす姿に目を奪われ、凜とした静けさの中で美しく反響する音に感動を覚えます。

自然美の代表としては、地中海に面する「マルセイユ(Marseille)」から隣の港町「カシ(Cassis)」までのおよそ20kmの海岸線には、白い岩肌が特徴の石灰岩の断崖絶壁に囲まれた自然の造形である「カランク(Calanques)」と呼ばれる多数の入り江があります。
一帯は、「カランク国立公園(Parc national des Calanques)」に指定されており、その自然美の絶景を求めて世界中の人々が訪れ、ハイキングやシーカヤック、ロッククライミングなどを楽しんでいます。

『プロヴァンス』の中でも、「リュベロン地域圏自然公園 (Parc naturel régional du Luberon)」に指定されている広さ約18.5万ヘクタールの地域一帯は「リュベロン(Luberon)」と呼ばれ、1982年に発足された「フランスで最も美しい村(Les Plus Beaux Villages de France)」(159村:2019年12月)の上位に選ばれる村がいくつも点在しています。
岩山の上に築かれ、鷲(ワシ)が崖に巣を作る様に似ていることから「鷲の巣(Nid d’aigle)」と呼ばれる村々の代表格である「ゴルド(Gordes)」は、画家「マルク・シャガール(Marc Chagall)」(1887-1985)が、その姿に魅せられ移り住みました。
顔料の原料となる「オークル(Ocre)」(黄土)が産出され町全体が赤色や黄色に染まる村「ルシヨン(Roussillon)」、城塞とその中庭から望める景色が心を澄ます村「ロリス(Lauris)」など、美しい自然に囲まれそれぞれ独自の歴史的な建築や造形を持つ村々に巡り会うことができます。
§

「Assez connu. Les arrêts de la vie. – Ô Rumeurs et Visions !」
1年のうち300日が晴れると言われる『プロヴァンス(Provence)』は、温暖で乾燥した地中海性気候に属しており水はけの良い土壌が良質なブドウやオリーブなどを育て、地中海からは海の幸を運び、大地に広がるラベンダー畑など人々に豊かな恵みをもたらしてくれます。
『プロヴァンス』に吹き付ける特有の風は「ミストラル(Mistral)」と呼ばれ、平均の風速は50kmで時には風速100km以上になるような突風が年間およそ130日も吹き荒れ、画家「フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)」(1853-1890)を「風に煽られ絵が描けない」と悩まさせました。
「ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)」が愛し何作もの絵の題材にした標高1011mの白く輝く「サント・ヴィクトワール山(Montagne Sainte-Victoire)」、その「ポール・セザンヌ」を「唯一の師」と呼んだ画家「パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)」(1881-1973)は、「サント・ヴィクトワール山」の麓の「ヴォーヴナルグ城(Château de Vauvenargues)」の庭に埋葬されています。
また、互いの才能を称え合い切磋琢磨した「パブロ・ピカソ」と「マルク・シャガール(Marc Chagall)」の関係が、酔った「パブロ・ピカソ」の冗談によって辛辣になっていく『プロヴァンス』時代のエピソードはとりわけ興味深いです。
「昆虫記(Souvenirs entomologiques)」(1879-1907)を書き記した博物学者「ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル(Jean-Henri Casimir Fabre)」(1823-1915)は、1539年以降にフランス語が義務化されことで衰退した「プロヴァンス語(Provençau,Provençal)」の保護運動に参加し「プロヴァンス語」で詩や歌を書きました。
「昆虫記」を著した村「セリニャン(Sérignan)」には、「プロヴァンス語」で「アルマス(Harmas)」(荒れ地)と名付け昆虫たちを36年間観察した家と庭(Harmas de Jean-Henri Fabre)が残っており、「ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル」が目にしていた『プロヴァンス』に息づく小さな生き物たちを観察することができます。
§

「Départ dans l’affection et le bruit neufs !」
今も昔も、これからもこれまでも、『プロヴァンス』がもたらす唯一無二の自然美や、遙かな歴史と文化が息づく村々の姿に魅了される人たち。
『プロヴァンス』に訪れ、その美しさを目にし、香る風を感じ、眩しい光を浴びることで、これまでに歩んだ人生に何かしらの変革や革新をもたらし、数多くの芸術家たちがそうであったように、これから歩む更なる道が、この『プロヴァンス』の地からの「Départ」(出発)となるかもしれません。















