愛知県・美浜町の『野間大坊』へ。

第40代『天武天皇』(673-686)の時代に『役小角(えんのおづの)』が「阿弥陀如来」を本尊とした『阿弥陀寺』を建立し、この地を訪れた『空海』が一千座の護摩を焚き庶民の幸福を祈り、第72代『白河天皇』(1073-1087)の皇室繁栄を祈願する『勅願寺(ちょくがんじ)』として『鶴林山大御堂寺(かくりんざんおおみどうじ)』と称され、通称を『野間大坊(のまだいぼう)』と言われています。

朝からどんよりと曇った空が、『野間大坊』一帯の暗い陰を落としています。
「我れに木太刀の一本なりともあれば」
と発しながら無念の死を遂げた『源義朝』の墓には多くの小太刀が積み上げられています。

『血の池』と言った『源義朝』の首を洗った場所、そして『源義朝』を殺害した長田親子が『源義朝』によって磔となった松。
無念の地として、『織田信孝』も非業の最期を遂げています。

旅・写真部として訪れた我らの無念は境内の食事処が休みだったこと…
見事に不定休の休みに重なってしまい、未だ無念の連鎖が続いていることを知りました。