「私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。」

太宰治記念館「斜陽館」(金木町)
明治40年に落成した和洋の豪邸です。
建設費は当時のお金で約4万円、現在の貨幣価値だと数億円だそうです。
太宰 治(本名:津島 修治)の生家であり庭園や2階建ての各部屋の豪華な造りや雰囲気が、当時の津島家が300人の小作人を抱える大地主としての盛況ぶりを大いに感じさせてくれます。
しかしながら、太宰 治自身は「私の家系には、ひとりの思想家もいない。ひとりの学者もいない。ひとりの芸術家もいない。役人、将軍さえいない。実に凡俗の、ただの田舎の大地主…この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。…この家系で、人からうしろ指を差されるような愚行を演じたのは私ひとりであった。(苦悩の年鑑)」と書いています。
太宰 治が複雑な人生を辿ることになる原点がココです。
その原点を実際に訪れ資料など探ってみると、後の紆余曲折と終焉に至るまでをいろいろと想像されられます。
戦後、農地改革の煽りで没落して津島家はこの屋敷を手放すことになり、旅館(斜陽館:小説「斜陽」より)として改装し使われ、1996年に経営が悪化して金木町が買い取り1998年に資料館となりました。

★津軽鉄道「鈴虫列車」
鈴虫が鳴き始める9月から10月の中旬頃まで、職員が育てた鈴虫の入った虫かごが車内に設置されます。
秋の音色を奏でる車内から外の田園や町の景色をのんびりと見る光景..
残念ながら耳を澄ましても鳴いてくれてませんでした。列車の走る音で聴こえなかっただけかもです。
車内には、太宰 治の書籍が並べてあり手に本を取って読んでいる姿はきっと格好良いでしょう。
車酔いしてしまいますが…

★喫茶 「駅舎」(金木町)
「…ぼんやり窓外の津軽平野を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園といふ踏切番の小屋くらゐの小さい駅に着いて…」

太宰 治「津軽」に描写が出てくる芦野公園旧駅舎(1930年開業)を活用した喫茶店です。
店内の雰囲気は、当時の駅構内の趣きを残しています。
古い時計の時を刻む音と、切符の受け渡し用の2つの窓口など。
テーブル脇の窓ガラス越しに津軽鉄道の列車が新しい芦野公園駅に到着するために減速する姿を見ることができます。
そのために、コーヒーを飲みながらゆっくりと窓の外を眺め、レールの微かにきしむ音で列車を待っているのも一興です。
列車は1時間に上下1本ずつなのでのんびりと楽しむ滞在になるでしょう。