「神嶋鎮祠雅興催 篇舟棹処上瑶台 蓬瀛休向外尋去 万里雲遥浪作堆」(源光秀)

およそ1200万年前に噴出した溶岩が冷えて固まった輝石安山岩でできた丘陵性台地は標高27m、面積は約10.2ヘクタール、周囲2.0キロは海食崖である越前海岸の島の一つ『雄島(おしま)』。

島に架かる全長224メートルの朱色の橋『雄島橋』。
橋を歩いて渡ると『雄島』の鬱蒼とした森を背にした、白雉(はくち)期(650-654)に『事代主神(ことしろぬしかみ)』と『少彦名神(すくなひこなのかみ)』たち神々を祀り、平安中期の律令『延喜式(えんぎしき)』(927)に記載された『延喜式内社(えんぎしきないしゃ)』の一つである『大湊神社(おおみなとじんじゃ )』の鳥居に近づいていきます。

『雄島』には、『源義経』が兄『源頼朝』に追われ奥州へ落ち延びる際に立ち寄り、武運と海上安全を祈願し家臣の兜を奉納したとも、『大湊神社』が『朝倉義景』の保護を受けていた際に『源光秀(明智光秀)』が訪れ、周囲の景色を楽しみ漢詩を詠んだとも言われています。

1573年に『織田信長』は『朝倉義景』を討った際に、朝倉一門の祈願所となっていた『大湊神社』のすべての社殿を焼き払ってしまいましたが、1621年に福井藩主『松平忠直』が国家安全の祈願所として再建しました。

『雄島』は『神の島』として崇められ、島の石を持ち帰るだけでも災難不幸が訪れると言われています。
そして、近くに置いた方位磁針の針の向きがずれてしまう『磁石岩』、海岸に近い場所だが塩気のない真水が湧く『瓜割の水』などの特異な力を持っています。
また、「東尋坊で身を投げた者の体は、不思議と雄島に流れ着く」や「雄島は時計回りが正しくて、反時計回りをすると死ぬ」 とも言い伝えられています。

空の青、海の青、森の緑。そして、朱の橋と白の鳥居。
とある日の平穏な神の島『雄島』の姿、小さくも雄大な大地に心地良い海風が吹きこみ、耳を澄ますと森の木々からさわさわと微かに聞こえてきます。
誰一人と住まない島、島に訪れ鳥居をくぐった瞬間から何かに包まれるような異世界への一歩を踏み出したように感じられます。これから、この島で体験することはこの島の中だけでの秘密にしたほうが良さそうです。
ここで、どのような神秘な体験をしてもきっと誰も信じてくれない。
島を出る橋から目の当たりにする景色は、あそこからは只の現実の世界なのだと突きつけるのだから。