「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり。」
徳川家康公の生地『岡崎城(別名:龍城)』。
1542年12月26日に8代当主・松平広忠の嫡男(幼名は竹千代)として生誕。
6歳で織田家、7歳で今川家の人質となり他国で過ごしたが、19歳の時に今川義元が桶狭間で織田信長に討たれたのを機に岡崎城に入城し、武田家への防衛のため浜松城に移るまでの11年間を過ごした城です。
紅葉の最盛期はすっかり終わって地面には乾いた落葉が多く、冬の弱い陽射しと冷たい風を感じながら見上げる天守。
24歳で徳川に改姓し、後の天下人『徳川家康』としてこの岡崎城で今の時期の景色を眺め歩いていた姿。
1572年の30歳で武田信玄と戦い大敗した『三方ヶ原の戦い』、1582年の40歳で織田信長が本能寺で討たれ決死の逃亡となる『伊賀越え』、1603年の61歳で征夷大将軍となり265年続く『江戸幕府』を開き、1615年の『大坂夏の陣』で豊臣家を滅ぼし翌年の1616年に駿府城にて74歳(数え75歳)で死去。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」
明治6年(1873年)の廃城令によって天守などの建物は撤去されましたが、時折聞こえる三河の言葉や現存する堀や石垣から戦国の日々から城としての役割を終え現代でもその存在を残す『岡崎城』。
戦乱の世から戦の無い世(天下統一)への偉業達成の大人物『徳川家康』。
築城の際に龍が昇り、生まれた日に金龍が現れたこと、この地には『王と龍』にまつわる伝説があり歴史的に特別感を感じる面白さがあります。